中古沢橋梁へ

ひとりごと

今回、私がウロウロしている中で、
一番興味が有った所と言っても過言では
有りません。
また、ココに来るのは、車では
かなり厳しい所ですしね。
と、山道に近い道を走っていると
突然雨が降ってきまして…

途中の橋脚みたいなしたで雨宿りです。
天気予報では、雨が降るとは書いてなかったけど
山の天気は変わりやすいって。

10分程度でしょうか、雨宿りをしていたら
雨は何とか止んできました。
単車で更に山の方に向かっていくと、

橋脚が見えてきます。
こちらが、山の中に有る
中古沢橋梁です。

橋梁って、確かに渡しの走っている道の横に
川が流れていますわ。
現地に掲示されていた看板です。

この看板は重要かなって事で、文字認識を

中古沢橋梁
中古沢橋梁は真下から見上げることのできる珍しい橋梁であり、JR山陰本線の餘部(あまるべ)橋梁が架け替えられた今では、関西に残る数少ない「トレッスル橋」のひとつです。
この橋梁の特徴は橋脚と橋桁が一体構造の鋼トラスで組み上げられており、日本では他に類例が見られない珍しい形式の橋梁です。山の中腹を縫うように鉄道が敷かれたため、トンネルとトンネルの間の深い複雑な谷の地形に合わせた構造として、組み立てが安易なトレッスル橋脚が採用されました。
標高差が427mもある高野下駅~極楽橋駅までの線路の建設にはルートの選定に苦心の跡が見られます。車輪とレールの摩擦だけで進む一般的な鉄道の限度と言われる「50‰(パーミル)」の急勾配や半径100mの急曲線の連続などを採用していますが、古沢地区の周辺では谷に集落が存在することから高低差のある山の中腹に駅を建設
せざるを得なくなりました。そのため、下古沢集落と上古沢集落の中間にあるこの谷を渡る中古沢橋梁がこのような高さになったのです。
鉄道の建設にはこの地方の主要産業であった木材を九度山まで運搬するために設置されていた森林軌道が役立ちました。木材を下した後、空のトロッコで工事用の資材が運ばれました。また、工事の完成を早く且つ安易にする工夫もされています。当時としてはまだ珍しかった「コンクリートブロック」の大量採用は工期を大幅に短縮しました。中古沢橋梁のトラスに運搬しやすい標準化された鋼材が採用されているのも、工事を安易にする工夫のひとつといえます。
3年の工期を経て、昭和3年6月18日に紀伊神谷駅までが開通しました。

位 置  南海電鉄高野線 下古沢駅~上古沢駅間(なんば起点57k739m)
橋梁概要 トレッスル橋梁
竣 工  1927年(昭和2年)
開 通  1928年(昭和3年)
緒 元  全長67.6m、高さ33.4m、橋台2基、橋脚2基、鉄桁3連

ある程度の文字チェックはしましたけど、間違ってたらごめん。
でも、今となっては餘部橋梁(余部鉄橋)も大事故が有って、
今ではコンクリートになっているので、この記述も古いですね。
そう考えると、この橋梁も重要なものと感じます。
以前はココにウッドデッキが有ったらしいのですが…

その部分は平らになってますが、
影も形も残っていませんし、
そちら側に渡ることも出来ません。
やはり雨が多いのでしょうかね。
10年以上経ったら腐って危なかったんでしょう。
でも、あちらからも見てみたかったなって

思いましたよ。
ココでは少し待てば列車が来るタイミングだったので
動画も撮ったのですが…
アップはちっと待って下さいね。
この場所ですが、集落の中を少し走っていき、
山の中に入っていった所に有ります。
軽ならば行けるかも知れませんが、
Uターンが苦しいので、車で来ることは
おすすめしませんが…。


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