姨捨って言われたら、多分皆さん
こちらの単語が頭に来るでしょうね。
「姨捨山(おばすてやま)」 私もそうでしたよ。
で、姨捨駅にちゃんと、今件について
書かれてありましたよ。

こちらが、駅舎内に有る姨捨山に書かれた
物が置いている場所ですね。
今回は全文アップです(^_^;)


まあ、この内容を読めって言われたら無理なので
上記内容をAIに文字起こししてもらいました。
故郷の民話 姥捨山(おばすてやま)
昔、年寄りの大嫌いな殿様がいて、「六〇すになった年寄りは山に捨てる」というおふれを出しました。殿様の命令には誰も逆らえません。親も子も、その日がきたら山に行くものとあきらめていました。
ある日のこと、一人の若い男が、年老いた母親を背負い、哀しみを振り払いながらただ夢中で山道を登っていきました。ふと気づくと、背中の母親が「ポキッ、ポキッ」と木の枝を折っては道ばたに捨てています。男は不思議に思いましたが、何も聞かずにそのまま歩いていきました。
年寄りを捨てるのは、深い深い山の奥です。男は母親を残して一人帰るところには、もう日もとっぷりと暮れて、あたりは真っ暗闇。男はすぐさま道を見失って、母親のところへ引き返しました。
母親は静かに言いました。「さっき、木の枝を折ってきた。それを辿ってお帰り。一子を思う親の深い愛情を、今更ながら知った男は、ついに殿様の命令にそむく覚悟を決め、母親を家に連れて帰りました。
それからしばらくして、隣の国の殿様が、この国の殿様に難題を出しました。「灰で縄を綯(な)え。」できなければお前の国を攻め滅ぼす、と。
家来の誰に聞いても解らない難題に、男は母親に尋ねました。母親は言いました。「まず縄を綯い、それを塩水に浸して焼きなさい。すると灰の縄ができます。」
男はその通りにして難題を解きました。隣の殿様はまた別の難題を出しました。「穴の一方にはらみつ、反対側の穴から糸を通せ。」男は再び母親に教えを請いました。母親は言いました。「蟻に蜜をつけて穴の一方に入れなさい。蜜を求めて反対側へ出てくるでしょう。」
男はその通りにして難題を解きました。こうして次々に難問を解いた殿様は、「こんな知恵のある者がいる国と戦っても勝てるわけがない」と、攻撃をあきらめました。
殿様は男を城へ呼び、「褒美を取らす。何でもほしいものを言うがよい。」と言いました。男は決心して母親のことを話しました。「なるほど、年寄りというものは有難いものだ。」殿様は自分の考えが間違っていたことに気づき、すぐさまお年寄りを捨てることをやめるおふれを出しました。
それからは、どこの家でも年寄りを大切にし、仲良く暮らすようになりました。
平成二年 更埴市教育委員会発行
姥捨伝説は…
姥捨伝説は、棄てられ行く極限に遭っても尚、木の枝を折り、子を思う親の究極愛。掟に背いてまで親を匿う、子の道標とした、子を思う親の究極愛の物語であり、年寄りの知恵によって戦うことなく国を救い、悪しき掟(法律)を改めさせた。お年寄りを大切にすることの大切さ、知恵によって平和を齎すという壮大なドラマでもあります。それは、伝説の象徴である「朽の語源、枝折の様に込められた、現代社会、人類への道標であるのです。
私達は物語の教えを学び、母親の知恵で作られたという「灰の縄」を試行錯誤の結果作ることができました。
平成十八年
千曲市立更埴西中学校
アインシュタインと姥捨伝説
一九二二年、今から丁度一〇〇年前です。アインシュタイン博士は来日した際の目的の一つ「日本人の多くが信仰する仏教の教え、姿とは」と質問されました。浄土真宗本願寺派、近角常観僧侶は「姥捨伝説にある母親の枝折の様こそ仏の教え、姿」と説明しました。
右の記事を偶然にネットで見つけました。一〇〇年前の有名な逸話など知る由もなかった今から一六年前に、その教えの価値を担任の酒井賢一先生と子供達と共有できたこと、そして、故郷にこの様な物語が伝わっていることに誇りを持ちたいと思います。
らしいです。ちゃんと文字整形もしてくれるんだ~
個人情報部分は削除しています。
もう一つ有りまして、

四季島の待合室と思われる所の横に有るやつも
こちらは画像そのままアップしていますので、
クリックして原文をそのまま読んでいただければ。
結果から言いますと、姨捨山ってのは実際には存在しないですし、
内容についても、逸話で有ることが解ります。
でも、こんな所に捨てられても、いい景色ですので
ちょっとは良いか知れませんよ。
強引に帰るんだったら、今なら列車も高速道路のSAも
ありますから(^_^;)



コメント