ははは…。完全なネタ切れモードです。
田植えだったので、約2週間何処にも行ってないので
今までの情報を少しずつ出してたんですけどとうとう…
後一週間こんな感じですけど(^_^;)。
と言う事で、色々と書きかけ記事を探していたら
有りましたわ。かなり前の記事です。
そうそう、湯浅からの帰り、久しぶりに海沿いを
帰ろうと車を走らせていたら、何か立っているのを見つける。

蓑田薬師庵 と有ります。
その脇には看板が有りまして、

この看板には、
「蓑田薬師」由来
天正元年(西暦一五七三)三月、にわかに波立つ海を
いぶかった村人が船を出し、大蛇岩の上に養に包まれ
た仏様を発見した。身の大一尺五寸五分の立像が金色
の光を放ち、虚空より「行基菩薩一刀三礼の薬師如来な
り」と聞にえ、村人は帰依の思いをなして山裾に草堂を
結び安置した。
しかし矢正十三年、秀吉公紀州攻めに来じた賊徒に
よっていずくともなく持ち去られ、草堂も荒れ果てた。
ところが慶長八年(一六〇三)のこと、筑前国(福岡県)
の慶園という道心者がこの薬師如来を背負って田村に
やってきた。慶園は薬師如来を買い求めてより病苦を
受け、ある夜「田村に送り帰せば病を治す」という霊夢
を聞いたからである。村人はこぞって仏の帰還を喜び、
慶園に土地を与えて田村に留め置いた(竹林寺第四世
住職)。時が経ち寛永十年(一六三三)、右近兵衛なる老
人に霊夢あり、告げに従い現在の地に一宇を営み善師
如来を安置した。祈願成就霊験あらたかにより村人は
月の八日十二日には分けて参詣した。
時が移り元禄十年(一六九七)十一月、再び盗難にあ
い村人は方々を尋ねたが行方が知れなかった。翌年二
月、村の総代内田半七が豊作祈願のため金剛山を参詣
した帰路、五条のある店棚にふと薬師如来像を発見し、
寸尺様体を改めて店の主に経緯を説明した。こうして
三度田村の地に帰還した藥師如来の強縁に奇異を感じ
た村人は、その霊験を疑う者はなかった。
以上は元禄十一年六月に記された「蓑田薬師如来縁
起(竹林寺蔵)」にある。以来今日に至るまで地域の守り
本尊として田材の人々によって守られてきたものであ
る。時期は定かではないが、「ミ十三観世音菩薩」も祀。
れるに至った。
と書いているはずです。多分…
ちっと中に入ってみると、こんなのが

私は経緯なんかにはあまり興味ないんで…
中の方に入っていくと、

しっくりとしたお堂が有りまして、

ここに座ってゆっくりしてみるのも
良いかなって感じで良かったですわ。
前に車を止められる場所も有りますしね。

コメント
batasyanさんコメントありがとうございます。
4日間走り過ぎたようで、しばらくバイクに乗りませんでした。(;’∀’)
高野山の建物を見て、先人の技術の高さに驚きました。
すごいですね。4日間で和歌山まで。
ご苦労さまです。
私も今回書いていただいたコースを参考に
しまなみ海道を走ってみたいです。