久々に姫嶋神社へ

ひとりごと

大野川緑陰道路 を気分良く歩いていた私。
淀川を渡らないと行けないのですけど…
地図ではこの先いっぱい橋が有るのですが
歩いている人に聞いてみると…
阪神高速3号線の橋は、徒歩では渡れないらしい…
塚本の方に戻ればと言われたんですけど
戻るのは嫌なんです。電車に乗れば行けるけどね…
今回の目的はウォーキングなので、使いたくないし…
このまま、この遊歩道を歩いていくことに。

そう言えばこの道沿いに 昔来たことがあるなぁ~
思った神社が有りまして。
姫嶋神社です。

なんか、15年前なんですね。
それにしても15年前と全く違う風景なんですけど…
こんなにスッキリしてたかな?
境内に由来が有りまして、

文字認識をSnipping Toolにやらせたら、
全然違うじゃん。今回のは流石にそのまま使えん。
全部タイプするのは無理なので…
どっかのページを参照しようと思いましたが 無いので
古いパソコン引っ張り出して来て 一太郎 で文字認識
さすが一太郎… それなりには…

由緒
阿迦留姫命と住吉大神を祀る創建年代は不明豊臣秀吉
の時代に一時は住吉神社と称したが明和三年に社名を
元に戻す。ご祭神阿迦留姫は「古事記」によると「赤い玉
より生まれた美人で新羅の王子 天之日矛と結婚、常に
美食も用意して仕えたが高慢な夫の態度に耐えされす
難波に逃げ帰った」とある。また「摂津国風土記」逸文に
は「新羅の女神が夫のもとを逃れ、筑紫の国の伊波比の
比売島(大分県姫島)に暫くいたが、ここは新羅から
近いので、きっと夫が追いかけてくるにちがいないと摂津の
国に移り住んだ。そしてもといた島の名をとって比売島と
名付けた」とある。姫島は難波八十島の一つで阿迦留姫
が留まった比売島がこの地にあたると伝えられてきた。
古老の話によるとヒメが訛ってヒエ(稗)島と呼ばれ、ヘジ
マと発音していたという。またこの地は木綿織がさかん
で女性は三巾前掛をしてよく働いたというこの機織の
技術や前掛は阿迦留姫が広めたと伝えられている。ただし
大阪で木綿の栽培が始まったのは戦国時代といわれ史実
と異なるが、このような伝承が残っているのも阿迦留姫命を
この地の産土神として人々が大切に祀ってきたからであろう。
境内には、島の地に関する万葉歌碑がある。
妹が名は千代に流れん姫島の小松が末に苔むずまでに
妹はこの地で亡くなった乙女を作者が親しみをこめて表した
のであなたの名はいつまでも世に語り伝えられるであろう。

と詠んだ

と有るはずです。
でもかなりを修正必要でした。
一時間はかかったんちゃうか?
こちらの神社ですが、やりなおし神社とも
言われているみたいです。
私は… もう昔には戻りたいとは思わないですけど、
新しいことにはチャレンジしたいと言う事で。
祈願してもらうのは良いかも知れませんね(^_^;)

こちらは はじまりの碑 らしいです。

様々な目標や願い事が書かれた帆立絵馬が
たくさん掲げられています。
まあ、私も帰ってきてからこの意味を知ったので…

それにしても15年の月日はこんなに
変わるんだと思った私でした。

私が姫島と言えばこちらなんです。

知らない人が大半だと思いますが、
コンテックって会社の本社です。
こちらはパソコンなどの部品を作っている会社で
昔は個人が使用する拡張ボードなんかも有ったんですけど、
今では主に産業用、工業用のパソコン、ボードを
作っている会社なんですけど…。


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