鎧の渡し跡

ひとりごと

と言う事で、仕事場に向かわないと…(^^ゞ
鎧橋ってのを渡ります?

さっき、兜神社 って有ったよね?
何か関係があるのかな?
ココには昔渡し船が有ったそうです。

横にはこんな看板が有りますが…

私の気になったのは、賃料でして
一人 1文 武士僧侶山伏医者は無料
一日約1200人の利用が有ったらしいです。
渡し人の給金は 渡し船は2艘有って
水主(船頭)は4人(1人・日給150銭+飯料150銭)、
運賃の受け取り役である渡銭は2人(1人・日給53銭+飯料150銭)。
100文=1銭 なので完全な赤字???
人件費だけで歳出の85%に達しておりと有るのだが…?
Wikipedia の 鎧橋 から抜粋です。
けど、日給が150銭、飯代が150銭 それってめっちゃ給金が安いんじゃ?
更に行った所に気になる建物が…

良い感じの建物なのに、取り壊されるようです。
東京って、こんな感じで新しい物が出来ているんですよね
う~んちょっと残念な気もします。


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と言う事で、看板の内容を多分そのまま掲載です。

よろい 鎧の渡し跡
所在地 中央区 日本橋小網町八・九番
日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番
鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の
船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、
その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承
年間(一〇四六〜五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆
浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神
に祈りを捧げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを
「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納め
たところとも伝えられています。
この渡しは、明治五年(一八七二)に鎧橋が架けられたことによ
りなくなりますが、江戸時代に通さ
れていた渡しの風景は『江戸名所図会』
などに描かれており、また俳句や狂
歌等にも詠まれています。
縁日に 買うてぞ帰る おもだかも
逆さにうつる 鎧のわたし
平成二十年三月 和朝亭 国盛
『江戸名所図会』 (中央区立郷土天文館所蔵) 中央区教育委員会