今回のうろうろ目的のもう一つです。
かつらぎ町にある 小田井用水 龍之渡井 です。
近くから橋の様子です。
橋の上はもちろん水が流れています。
主な目的は農業用水なので、今は水がたくさん
流れています。
上流の方からです。
分水されています。
水の関は新しくしています。
近くからだとどんな感じかもよくわからないだろうと
ちょっと離れた場所からです。
この水は、高野口あたりから分水されて、
岩出周辺で利用されています。
私たちの実家周辺も、藤崎用水とまた別の水路の
水を使って稲を植えてます。
今回うんちくは最後です。
小田井用水
小田井用水は、和歌山県北部に位置し、現在は紀の川右岸の河岸段丘に
広がる水田609haをかんがいしている用水路です。小田井用水ができ
るまでこの地域のかんがいは、北の和泉山脈から流れる沢水やため池によ
って小規模に行われていましたが、常に水不足に悩まされていました。
江戸時代、財政事情の厳しい紀州藩では、2代藩主徳川光貞の時に打開
策として米の増収を図る改革を進め、紀の川の水を利用する大規模な新田
開発を計画しました。用水路の工事は、1699年(元禄12年)の藤崎
井用水の開削に始まりました。
1707年(宝永4年)5代藩主、徳川吉宗(後の8代将軍)の命令を
受け、大畑才蔵がこの小田井用水を開削しました。小田井用水は紀の川に
平行して、紀の川右岸の等高線を巡るように開削されたため、途中にいく
つもの河川の谷間と交差する難工事でしたが、渡井(水路橋)や伏越(サ
・イホン)による立体交差で克服しました。小田井首工より、農業用水を取
り入れ橋本市・かつらぎ町・紀の川市、岩出市にまたがる延長約30km
におよぶ用水路により1000haを超える水田を創り出しました。
その後、時代とともに改修されていますが、開削以来300年間農業用
水を流し続けており、現在は地域の人達の憩いの場として親しまれ、防火
用水として役立っています。なお、小田井用水は、平成18年2月に農林
水産省主催の「疏水百選」に認定されました。
小田井用水は、和歌山県北部に位置し、現在は紀の川右岸の河岸段丘に
広がる水田609haをかんがいしている用水路です。小田井用水ができ
るまでこの地域のかんがいは、北の和泉山脈から流れる沢水やため池によ
って小規模に行われていましたが、常に水不足に悩まされていました。
江戸時代、財政事情の厳しい紀州藩では、2代藩主徳川光貞の時に打開
策として米の増収を図る改革を進め、紀の川の水を利用する大規模な新田
開発を計画しました。用水路の工事は、1699年(元禄12年)の藤崎
井用水の開削に始まりました。
1707年(宝永4年)5代藩主、徳川吉宗(後の8代将軍)の命令を
受け、大畑才蔵がこの小田井用水を開削しました。小田井用水は紀の川に
平行して、紀の川右岸の等高線を巡るように開削されたため、途中にいく
つもの河川の谷間と交差する難工事でしたが、渡井(水路橋)や伏越(サ
・イホン)による立体交差で克服しました。小田井首工より、農業用水を取
り入れ橋本市・かつらぎ町・紀の川市、岩出市にまたがる延長約30km
におよぶ用水路により1000haを超える水田を創り出しました。
その後、時代とともに改修されていますが、開削以来300年間農業用
水を流し続けており、現在は地域の人達の憩いの場として親しまれ、防火
用水として役立っています。なお、小田井用水は、平成18年2月に農林
水産省主催の「疏水百選」に認定されました。
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