田辺から国道311号線を熊野方面に走って行きますと
前々から気になっていた 清姫の墓所って書いている所が有りまして
今回そこに行ってみることに。
国道から100mほど脇道に入ったところに有ります。
清姫の墓所 です。
こちらが上の方に有りました、清姫堂です。
こちらがお墓だと思います。
ちょっと見えづらいんです。
で、入り口にありました。
今回もちょっと解読させました。
多分下記のように書かれています。
清姫之里の伝説
清姫の父真砂の荘司藤原左衛之慰清重は妻に先立たれてその子
清次と暮らしていた、ある朝散歩の途中黒蛇に呑まれている白蛇を見て
隣にい助けた、数日後白装束の女遍路(白蛇の化身)が宿を迄い。
そのまま清重と夫婦の契を結び清姫が誕生した
清姫が十三才の年分年熊野三山へ参拝の途中ここを宿としていた奥
州(福島県)白河在萱根里安兵衛の子安珍十六才はみめうるわしい
清症の稚い頃より気をとられて行く末はわが妻にせんとひそかに語られ
姫も真にうけて安珍を慕った ある夜 安珍は障子に映った蛇身の清姫
を見てその物凄い形相に恐れをなした、それとは知らぬ姫は思いつめて
遂に胸のうちを語り「いつまでも待たさずに奧州へ連れていってほしい」と頼んだ
安珍は突然の申し入れに大いに驚き、これはなんとかして避けようと
思い「我は今熊野参拝の途なれは必ず下向には連れ帰る」とその場
のがれの申しわけをされた 姫はその真意を知らず安珍の下向
を指折り数えて待ちわびたがあまりにも遅いので旅人に尋ねると
「あなたの申される僧は先程通られ早十二、三町も過ぎ去られた」と
聞くや さては約束を破り道を変えて逃げられたのだと察しあまりの
悔しさに道中に伏して泣き叫んだ やがて気を取り直して汐見峠まで後
を追い杉の大木によじ登り(現在の捻木)はるかに望めばすでに田辺の会
津橋を渡り逃げ去る安珍を見て瞋りにくるい 生きてこの世でそ
えぬなら死して思いをとげんと立ち帰り荘司ヶ渕に身を投げた そ
の一念が怨霊となり道成寺まで蛇身となって後を追い鐘にかくれた
安珍を七巻半して大炎を出し焼死させ思いをとげたと云う
時延長六年六月二十三日(今から約干八十年前西暦九二八年)
後里人達はこの渕を清姫渕と呼び霊を慰さめるため碑を建立
清姫の墓として今年四月二十三日に供養を続けている
平成二十年四月士四日
福厳寺第十二世霊岳代誌
寄贈者 高岡節子 清水泰弘
清姫の父真砂の荘司藤原左衛之慰清重は妻に先立たれてその子
清次と暮らしていた、ある朝散歩の途中黒蛇に呑まれている白蛇を見て
隣にい助けた、数日後白装束の女遍路(白蛇の化身)が宿を迄い。
そのまま清重と夫婦の契を結び清姫が誕生した
清姫が十三才の年分年熊野三山へ参拝の途中ここを宿としていた奥
州(福島県)白河在萱根里安兵衛の子安珍十六才はみめうるわしい
清症の稚い頃より気をとられて行く末はわが妻にせんとひそかに語られ
姫も真にうけて安珍を慕った ある夜 安珍は障子に映った蛇身の清姫
を見てその物凄い形相に恐れをなした、それとは知らぬ姫は思いつめて
遂に胸のうちを語り「いつまでも待たさずに奧州へ連れていってほしい」と頼んだ
安珍は突然の申し入れに大いに驚き、これはなんとかして避けようと
思い「我は今熊野参拝の途なれは必ず下向には連れ帰る」とその場
のがれの申しわけをされた 姫はその真意を知らず安珍の下向
を指折り数えて待ちわびたがあまりにも遅いので旅人に尋ねると
「あなたの申される僧は先程通られ早十二、三町も過ぎ去られた」と
聞くや さては約束を破り道を変えて逃げられたのだと察しあまりの
悔しさに道中に伏して泣き叫んだ やがて気を取り直して汐見峠まで後
を追い杉の大木によじ登り(現在の捻木)はるかに望めばすでに田辺の会
津橋を渡り逃げ去る安珍を見て瞋りにくるい 生きてこの世でそ
えぬなら死して思いをとげんと立ち帰り荘司ヶ渕に身を投げた そ
の一念が怨霊となり道成寺まで蛇身となって後を追い鐘にかくれた
安珍を七巻半して大炎を出し焼死させ思いをとげたと云う
時延長六年六月二十三日(今から約干八十年前西暦九二八年)
後里人達はこの渕を清姫渕と呼び霊を慰さめるため碑を建立
清姫の墓として今年四月二十三日に供養を続けている
平成二十年四月士四日
福厳寺第十二世霊岳代誌
寄贈者 高岡節子 清水泰弘
手書き文字の認識はちょっと大変
確かに、清姫のお話は 道成寺 の方が有名ですね。
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