とホームに立とうとした時、
つい改札に有る、案内板を見ると
私が乗ろうとしていた列車の
発車時間を間違えている…(^_^;)
あ、メモには私が乗ろうとしている特急の時間
鳥取の出発時間が書いてあるわ~(^_^;)
と言う事でさらに駅で時間が出来てしまいました。
私の宿泊先は駅の南側だったので、
ちょっと北側を見てみようと言う事で

北側へ行ってみると、
目の前に鳥居が有りました。

この距離なら行くことが出来るかなって
思いまして行ってみました。
上井神社 です。

鳥居の奥は、ちょっと急な階段が有ります。
それもちょっと気合が必要な段数です。

周りの木々は、倉吉市の保存林って
書いてあります。

確かに手入れされている感が有ります。
で、階段を登りきった所に本堂らしい建物が。

この神社のしめ縄も、

出雲大社と同じ感じの奴なんですね。
この下に出ている奴は しめの子 って言うらしいです。
このしめ縄ってなんて名前なんだろうと調べたら
大しめ縄しか書いてないし…
出雲大社のしめ縄作りは こちら でやっているようです。
こちらの神社のは、こちら製では無い感じですが…
こんな看板の文字を書いている人はいないと思うので…
由来
上井神社の勧請(創立)年は、明確ではないが寛文三年(一六六三)の頃には床大
至っている。
明神と呼び、貞亨二年(一六八五)の頃は常大明神、寛永の頃常宮大明神、常盤大
明神の記事があるように、時代によって呼び名が変わっている。その後、明治維新に至って日下村が施行(明治二十二年·一八八九)され村社「上井神社」となった。
そもそも、「上井」とは「あがり葦」の意味ではないがと考えられ、大昔この地は海であったが、やがて沼地となり次第に陸地化したものと推察される。現在、糍塚(集来藻塚)の字名があるが、これは海藻が寄せ集まり塚となった地の、とを意味するものと思われる。
また、大江、小泓、内中嶋、外中嶋、唐樋、切口等の字名も現存している。
古くは、日本書紀の冒頭に「あめつちのひらける初め天地の中に一物生まれり状
葦芽の如くなりませる神を国常立尊と号す」と記録されているが、この大御神がこの地に鎮まりまして、その御神徳により数百年にわたり度々の河川の氾滥によろ洪水等からもごの「上井」の地を加護されてきたのである。
爾来、上井神社の御加護のもと、明治三十六年十二月(一九〇三)には、境港よ
り上井まで鉄道が開通し、交通の要衝としてこの地の発展の基礎が確立され今日に至っている。
由来の所だけ文字化してみました。
階段の途中から駅の方を見てみました。

駅の反対側は、ほんと何も無い感じの
駅前になってましたわ。

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