今回は、かなり重い話になります。
嫌な方は、読み飛ばしてください。
家の母親が亡くなりました。
満76歳でした。
以前からちょっと書いていると思います
こんなのやこんなのを。肺がんでした。
私を知っている方も居られると思いますが
葬儀は家族で済ませました。
まあ、約2年の闘病生活で、最後の方は
かなり苦しんでいたので、長生きしろなんて
言えるような状態では無かったです。
今回、おかはんが亡くなった事で色々な事を
考えましたわ。
人間って、年を取るとともに、欲望が薄らいでくると
思っています。
ブログを見ていると、私もわかるのですが、確かに
物欲が減っている感があります。
家の母親を見ていると、それを顕著に感じることができまして
腰が曲がっているので、温泉に行きたくない。
体が痛いので、何処にも行きたくない。
ご飯を食べても美味しく無い。
って、段々と
最後は、ご飯も食べられないって…
象みたいな動物でも、歯が抜けると
生きていけないって言いますもの。
最近は身体全体が痛いって言うんですけど
私には何もできない。どのような感じかも
わからないですから。
末期の頃は、死ぬのが怖くない。
痛いのから開放されたいと…。
もう何と言えば良いのかわからない状態です。
最後にきちんと話出来るって事で再訪したのですが
何か、私のことを気にしているのか?痛いのを
我慢出来ないので、出ていってほしいのか
最後は追い出されるように病室を出てきました。
こんな事は書きたくも無いのですが、
私も最後はこんな感じになるのだなって思って。
こんな感じにならないように努力するしか無いのかな
って私的に思っています。
と言う事で、当時感じたことを書き記してみました。
今後どのように心が変化するかわかりませんが
と言う事で、和歌山市の火葬場です。
私は今回本当に近隣の親族になりますので、
火葬場の目の前まで入ることになります。
やはりここまで入って、火葬場を見ると
すごく悲しくなります。
今回、遺骨を拾うとき、のどぼとけが見つからない
本当ののどぼとけは燃え尽きるらしくて、
通常、どぼとけって言われているのは
第二頸椎らしいです。
今回はどうやっても見つからないので、
第三頸椎をのどぼとけとして対処することに。
そして今回、和歌山の火葬場には
喫茶コーナーってのが有りまして、
席数は、50席くらいあったかな?
コーヒーなどの他に、軽食も有るようですわ。
さすがにここで通常の昼食をとる人は居ないと
思いますけど。参考に。
と言う事で、今回の葬儀の時に考えた事について
備忘録と言う事で書き記しておきます。
ご冥福をお祈りします。