衣通姫茅渟宮跡

ひとりごと

この周辺をうろうろしている理由は
こちらに来るのが目的でした。
衣通姫茅渟宮跡そとおりひめちぬのみやあと です。

その脇には、英語をメインにした

説明文が有るのですが…
何故に英語が先なの?
その奥に森のような所が有りまして

こちらが茅渟宮跡の様です。
脇には 衣通姫ガイダンスセンター ってのが有りまして

すごく新しい立派な建物です。
中に入ろうとしたのですが…

閉まってる…(^_^;)

祝日は閉館のようで… ガラス越しに見える
こちらの看板を
建物の裏には像が立ってまして

中谷藤吉翁之像 です。
元上ノ郷村の村長さんだったようです。
その脇には石碑が色々と有ります。

どうやら、忠魂碑 など上ノ郷にあった石碑などを
この公園に集約した感じです。(知らんけど…)

と言う事で、中が気になったので、
再訪しました。
衣通姫 について書かれた物が有りました。

それにはこう書かれていると思われます。

和歌の神
衣通姫が「和歌の神」といわれるようになったのは、第58代光孝こうこう天皇の世の頃。
光孝天皇は若い頃から教養が深く、和琴わごん(雅楽の弦楽器)に秀でた文化人だったそうです。
そんな彼の夢枕に衣通姫が現われ、美しい姿でこのような和歌を詠んだと言われています。

立ちかえり またもこの世に跡垂あとたれむ その名うれしき 和歌の浦波
(もう一度、私はこの世に神となって現われましょう。和歌の浦というありがたい名の地に、寄せ返す波のように。)

当時から和歌の浦は歌に詠まれる名所として有名な場所でした。
そとおりひめのみこと
光孝天皇は夢枕に立った衣通姫を「衣通姫尊そとおりひめのみこと」として、和歌の浦の由緒ある神社·玉津島神社
にお祀りしました。「衣通姫=美くしく優れた和歌の神」としてあっという間に平安貴族の間で
知れ渡り、後に数々の歌人からリスペクトされることとなったのです。

衣通姫をまつる神社とゆかりの跡地
加志波良比古神社(石川県珠洲市)
八幡神社(石川県輪島市)
玉津島神社(石川県鳳珠郡能登町)
粟島社(石川県加賀市)
機織神社(岩手県一関市)
玉津島神社(福井県小浜市)
近江国坂田郡
白河神社(福島県白河市)
玉津島神社(滋賀県高島市)
藤原宮跡(奈良県櫃原市)
住吉神社(福岡県福岡市)
住吉玉津島神社(栃木県那須郡那須町)
玉津島神社(埼玉県深谷市)
小岩神社(東京都江戸川区)
川勾神社(神奈川県中郡二宮町)
下立松原神社(千葉県南房総市)
伊奈波神社(岐阜県岐阜)
橋本神社(京都府京都市)
軽之神社(愛媛県松山市)※古事記における衣通姫伝承地
玉津島明神(奈良県桜井市)※伝衣通姬出生地
宇気比神社(三重県志摩市)
玉津島神社(和歌山県和歌山市)
比売神社·茅渟宮跡(大阪府泉佐野市)
允恭天皇陵治定古墳(大阪府藤井寺市)
真妻神社(和歌山県日高郡印南町)

一箇所だけ行ったことが有りますね。
衣通姫と思われる絵が有りますが

他にも 衣通姫 がたくさん描かれていまして

なかなか、いい感じに

書かれているんですよね。
こちらが先日室外から撮ったやつ。

現代版はやっぱり

良いですよね。
なんせ、このポスターに出会わなければ
今頃 衣通姫 について調べてないし…


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