ちょっと、和歌山には無いこんな感じの
道が好きです。
確か、山口県に行った時もそんな事を書いたかな?
まあ、こんな感じの道を走っていると、
全く周りを見ていない(安全運転の範囲内でですよ(^_^;)
ちゅ~事で、ちょっと目印を付けていたポイントへ
やってきました。
この周辺ってどこに車を止めたらいいんだ~
って感じでしたが…
丹波篠山市 多紀支所 って所の近くに駐車場は有りました。
ココは 元福住小学校 だったようです。
福住駅本陣の碑
ってのも有りました。
周辺の地図も有りましたが、
すごい範囲が広いですわ。
古い感じの建物が多いみたいに見えますが…
かなり手が加えられてているような感じです。
そんな事で、ウロウロしていると…
ココは駅か?って感じのものが。
この周辺は、元国鉄の篠山線の福住駅が
有った所の様です。
ホームの一部らしいものも残っていました。
看板には…
旧国鉄篠山線「福住駅」跡
ここに旧国鉄篠山線の「福住駅」がありました。「福住駅」は篠山線の終着駅です。篠山線は昭和19(1941)年3月に開業し、篠山口~福住間を6駅17.6kmで結んでいました。太平洋戦争中の末期に丹波篠山市内で産出するマンガンや珪石の輸送を主な目的として軍部の要請で敷設されました。ここから産出された良質のマンガンや珪石は、篠山口を経由して、主に北九州市の八幡製鉄所へ運搬され、大砲の砲身の銑鉄や溶鉱炉の耐火レンガの材料として利用されました。戦後は、主に旅客として、福住から通う高校生や通勤客、行商者に利用されました。京都府園部駅までの延伸案もありましたが、篠山の町の中心部から離れた位置に路線を引いたために客足が芳しくなく、地元での強い存続運動にもかかわらず、1年以上の話し合いの末、昭和47(1972)年3月1日に廃線となりました。「福住駅」は現在の国道12号線に位置し、駅舎、プラットホームがありました。また、東側にはマンガンを積み込むホームがありました。「福住駅」を出ると、清水の交差点には高架橋があり、小野新より二之坪を抜けて村雲駅、丹波日置駅へと西に向かいました。廃線跡には今でも擁壁や橋梁、築堤等の遺構を見ることができます。本線標高最高点の小野新付近では、C11蒸気機関車が黒い煙を吐き、石炭を焚く匂いを残し、勢いよく坂を上る姿がありました。その後、列車はディーゼル気動車へと替わり多くの住民の足として利用されました。
福住地区まちづくり協議会
と有るはずです。
この先ず~っと鉄道が有ったんですね。
まあ、こんな感じで残っているのも
良いかなって思いました。
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