兜神社

ひとりごと

歩いていると、神社を発見しました
兜神社 って所で、

真上は 首都高速でも面倒なジャンクション
江戸橋ジャンクションです。
ほんとに、この本殿?しかない神社なのですが…
何故か2~3名の方が拝んでおられます。
東京ってこんなのがすごいわな~。
そばに有った由来所の内容を要約すると

明治11年に、東京株式取引所(現在の東京証券取引所の前身)が兜町に設立される際、取引所関係者たちが信仰の象徴として兜神社を建設しました。神社の御社殿には「倉稲魂命」という神号があり、これは当時の太政大臣三條實美公が揮毫したものです。
その後、社殿は何度か移転と改築が行われました。昭和2年に一度目の移転が行われ、兜橋の畔に約62坪(約205平方メートル)の場所に新たな社殿が建てられました。昭和44年には高速道路の建設に伴い、御影石造りの鳥居を残して旧社殿が解体され、現在の鉄筋コンクリート造りの社殿が建てられました。
境内にある「兜岩」という岩は、昔、前九年の役(1050年代)の頃に源義家が東征の帰りに兜を懸けて戦勝を祈願した場所であり、町名「兜町」はこの岩に由来していると伝えられています。

chatGPTさん… 要約されていないような…(^^ゞ
東京証券所に場所を取られた訳ですね…
悪い奴やな~ それもこんな高速道路の脇に…


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文字認識された原文です。
未修正なので、おかしい所も多いです。なんせ時間が…
六五
御社号
鎮座地
御創立
御祭神
御例祭
御由緒
兜岩の由来
兜神社の由
兜神社
中央区日本橋兜町一番十二号
明治十一年五月(一八七八年)
主なる祭神は商業の守護神とたたえまつる
倉稲魂命である。
おおくにぬしのみこと
合祀の神は右に大国主命左に事代主命をまつる。
毎年四月一日
明治十一年ここ兜町に東京株式取引所
(東京証券取引所の前身)が設けられるに
当たり同年五月取引所関係者一同の
信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営した。
御社殿に奉安してある「倉稲魂命」の
御神号は時の太政大臣三條實美公の
揮毫になるものである。
当社は御鎮斎藤一度換地が行なわれたが
昭和二年(一九二七年)再度換地を
行ない兜橋々畔の現在地約六十二坪
(約二〇五平方米)をトして同年六月
御遷座を行ない鉄筋コンクリート造りの
社殿を造営した。
昭和四十四年(一九六九年)五月高速
道路の建設に伴ない御影石造りの
鳥居を残して旧社殿を解体し、同
四十六年(一九七一年)三月現在の
鉄筋コンクリート・一間社流造・向拝
付きの社殿を造営した。
屋根は銅板葺とし玉垣・参道敷石
などは御影石をもちいた。
境内に安置してある「兜岩」については
その昔前九年の役(一〇五〇年代)のころ
源義家が東征のみぎりこの岩に兜を
懸けて戦勝を祈願したことに由来
すると伝えられ兜町という町名は
この「兜岩」に因んで付けられたといわれている。
兜神社世話人一同
本日9
odotudes des TH
昭和四十六年六月
(2)

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