さらに山を下っていくと、なにやら道沿いに看板が…
それをたどっていくと、こちらに到着しました。
佐野寺跡 です。
住宅地のど真ん中に整備された場所が有るって
感じです。
説明書きが有りました。
私はただ来ただけなので、何のこっちゃ?
って感じで、いつものようにそのまま一部文章化…(^^ゞ
佐野寺跡の歴史について
佐野寺跡は、伊都郡かつらぎ町大字佐野に所在する飛鳥時代後期の寺
院跡です。平安時代初期に作られた日本で最初の仏教説話集である『日
本国現報善悪霊異記』(略称『日本霊異記』)の中巻第11話には「紀伊
国伊刀郡桑原之狭屋寺」の名が見えますが、かつらぎ町大字佐野に位置
する本寺跡は、7世紀後半(飛鳥時代後期)にさかのぼる古代寺院であ
ることから、この「狭屋寺」ではないかと考えられています。
佐野寺跡は、伊都郡かつらぎ町大字佐野に所在する飛鳥時代後期の寺
院跡です。平安時代初期に作られた日本で最初の仏教説話集である『日
本国現報善悪霊異記』(略称『日本霊異記』)の中巻第11話には「紀伊
国伊刀郡桑原之狭屋寺」の名が見えますが、かつらぎ町大字佐野に位置
する本寺跡は、7世紀後半(飛鳥時代後期)にさかのぼる古代寺院であ
ることから、この「狭屋寺」ではないかと考えられています。
発掘調査成果
これまでの発掘調査から、その伽藍配置は、東に塔、西に金堂を配置
し、その北側に講堂、南側に門を置くことがわかっています。伽藍の東
西南北には、部分的ながら手域を区画する溝が発見されており、このこ
とから、寺域は南北114m、東西79mの範囲であったとみられます。
さらに、本寺跡の特徴としては、六角形建物跡が講堂跡の北東隣接地で
発見されていること、塔の基壇外装が木製と見られることがあげられま
す。特筆すべき出土遺物としては導仏、風招、佐波理碗蓋があります。
これまでの発掘調査から、その伽藍配置は、東に塔、西に金堂を配置
し、その北側に講堂、南側に門を置くことがわかっています。伽藍の東
西南北には、部分的ながら手域を区画する溝が発見されており、このこ
とから、寺域は南北114m、東西79mの範囲であったとみられます。
さらに、本寺跡の特徴としては、六角形建物跡が講堂跡の北東隣接地で
発見されていること、塔の基壇外装が木製と見られることがあげられま
す。特筆すべき出土遺物としては導仏、風招、佐波理碗蓋があります。
こちらが塔が有った場所らしいです。
台座だけがきちんと復元?されてます。
こちらが金堂跡です。
半分位なんでしょうか?残っている状態です。
まあ、私の知識は全く無いので、ただ行きましたと
言う報告です。
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